日本・中国・朝鮮

中国共産党による巨大国家・中華人民共和国が誕生する。 中国の近代史をみると、まるで凝縮した世界史をみるかのようである。そして1949年の中華人民共和国建国は、単純なマルクス・レーニン主義(共産主義)による革命ではない。毛沢東は、その国家形成の中でマルクス・レーニン主義を毛沢東思想として再構築し、ソ連とも資本主義国とも異なるあたらしい社会主義国家を建設していったといわれる。毛沢東は、世界史的にみても最大の革命家の一人であり、また一方で中国の文化的伝統のもっとも忠実な後継者であるともいわれる。

日本・中国・朝鮮

清国は、アヘン戦争、アロー号事件、清仏戦争、日清戦争、義和団事件で次々と敗北する。 1616年ヌルハチは中国東北地方の女真族(満州族)を統一して「後金」を建国した。明にとってこの勢力は脅威となり、明は1619年に討伐軍を送ったが、サルフ(撫順の東)の戦いで大敗する。1636年ヌルハチの第8子のホンタイジが新たに皇帝に即位し国号を「清」と改称した(首都は瀋陽)。ホンタイジは1634年内モンゴルに侵攻して、チャハル部全域を支配し、元朝の玉璽を手に入れていた。
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日本・中国・朝鮮

1919年の「3.1独立運動」は朝鮮における近代史上最大の民族運動であり、朝鮮人のナショナリズムの原点の一つとされる。 韓国の反日感情の原点はこの時代から始まると思われる。それは日露戦争(1904年~1905年)以後、日韓議定書締結から始まる日本による韓国併合・植民地支配の時代である。 朝鮮における抗日義兵闘争は日本に対する独立運動であり、1906年韓国総監府設置後の後期義兵闘争は、ゲリラ戦を中心に全国に広がり「戦争」と呼ばれるほどであった。そして1910年韓国併合にともなう朝鮮総督府による支配 ...

日本・中国・朝鮮

朝鮮の「鎖国攘夷」と日本の方向転換「門戸開放」。そして日本は「明治維新」へ 最初は日本も朝鮮も、ヨーロッパ列強に対して「攘夷=外敵排斥」が国家方針であった。朝鮮は「鎖国攘夷」を徹底し、列強をも撃退することができた。だが江戸幕府は、列強との力の差と、清国の悲劇をまのあたりにして門戸開放へ方向転換を行った。一方「尊王攘夷」派であった薩摩藩と長州藩は、合同して武力によるクーデターよる「討幕」を決意した。その大義名分は「王政復古」であり、「天皇親政」であった。
●日本は、天皇制を根幹とする大日本 ...

日本・中国・朝鮮

●王朝の正史・歴史書に残されたものだけが歴史ではない。 他国の歴史について日本人がとやかく言う必要はないことだが、日本と「韓国・北朝鮮」は古代より関係が深く、互いに重層する歴史をもっている。そしてそれが故に、現代においてもナショナリズム(民族主義・国家主義・国粋主義など)が絡み合い、一つの事件に対する歴史的評価すらも、異なったものになっている。
●特に7世紀(660年代~)は、日本と朝鮮にとって特筆される時代である。唐と新羅によって百済が滅亡(660年)すると、百済の復興を援助する日本が ...