1944年(昭和19年)インパール作戦、第33師団の進軍。4-2
第33師団 南方より2方向に分かれてインパールへ進軍開始。★1944年3/8、 第33師団各突進隊が進軍開始。9-5
第33師団は中突進隊と正面突進隊が、トンザン-シンゲル-ビシェンプール方面から ...
1944年(昭和19年)3/8インパール作戦開始。4-1
インパール作戦は劣勢となったビルマ方面軍の第15軍司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)中将による一発逆転の作戦。 1944年(昭和19年)大本営は、ビルマ(現ミャンマー)に4方向から反攻してくる連合軍( ...
日本軍とビルマ独立運動、インド独立運動。
日本軍はビルマ独立は認めず、インド独立には支援と協力を行った。ここではイギリス植民地下のビルマと、同じくイギリス植民地下のインドについて、それぞれの歴史とイギリスに対する独立運動について概略を記述した ...
1942年(昭和17年)ビルマ戦線とインパール作戦計画。
1942年(昭和17年)日本軍によるビルマ(ミャンマー)侵攻と全土制圧。1943年(昭和18年)連合軍の反攻。1942年(昭和17年)1月、日本軍(第15軍)はタイから国境を越え、3/8ビルマの首都ラ ...
1944年(昭和19年6月まで)①米軍、ニューギニアと中部太平洋、両方面から日本本土へ向かう。
1944年、連合軍は南西太平洋では、ニューギニアからフィリピンへ向かい、同時に中部太平洋では、ラバウル、トラックを孤立させ、サイパンへ向かう。●国内では1月、初の強制「建物疎開命令」が出された。政府は ...
1943年(昭和18年)連合軍の大攻勢が始まる。日本、「絶対国防圏」を設定する。
日本軍、ニューギニアで敗北し、ガダルカナル島からも撤退する。ドイツ軍はソ連軍との戦いに敗北する。この太平洋戦線では、日本軍はアメリカ軍とだけ戦ったわけではない。連合国(オーストラリア軍、ニュージーラン ...
1942年(昭和17年)④日本陸海軍、ガダルカナル奪回への死闘、そして撤退。
日本軍はニューギニアとガダルカナルで敗北する。 連合軍の対日反攻が始まり、日本軍はニューギニアとガダルカナルで敗北する。ヨーロッパでは、ドイツ軍が北アフリカ戦線、コーカサス戦線で戦い、スターリングラー ...
1942年(昭和17年)③海軍、ミッドウェー海戦(6/5)で大敗。太平洋戦争の分岐点となる。
アメリカによる初の日本本土爆撃(4/18)は、陸海軍に一大衝撃を与えた。それによりミッドウェー作戦は陸海軍あげての重要作戦となった。●1942年に入ると、アメリカ空母部隊による航空機攻撃が頻発するよう ...
1942年(昭和17年)②日本軍、マニラ、シンガポール、ラングーン、バンドン占領。
帝国陸軍、勝利に隠された捕虜虐待と処刑、華僑虐殺。フィリピン、シンガポール、インドネシア。●この②では、1942年(昭和17年)の5月頃までを記述した。開戦以来わずか半年で日本軍は広大な地域を占領した ...
1941年(昭和16年)12月~1942年(昭和17年)①日本軍、開戦半年で東南アジアと南西太平洋のほぼ全域を占領下に置く
1941年(昭和16年)12月の海軍によるハワイ奇襲作戦は、南方作戦を支援するためにあった。海軍の第1段作戦である。●このページでは1941年(昭和16年)12月~1942年(昭和17年)5月頃までに ...
1941年(昭和16年)③12/8、日米英開戦、太平洋戦争勃発。「米英に対する宣戦の詔書」
1941年(昭和16年)12月8日、大日本帝国は天皇の名において、「対米英宣戦の大詔」を発した。「対米英宣戦の大詔」。ついに日米英開戦である。
下がその原本の画像である。下段で、「米英に対する宣戦 ...
1941年(昭和16年)②海軍、対米英戦反対。10月東条英機内閣成立。
海軍は、太平洋戦争開戦後の12/16、世界最大の戦艦大和を竣工させた。 アメリカ相手の戦争では、陸軍ではなく海軍によってその勝敗が決まる。海軍が最後まで対米英戦に反対したのは、自国の海軍力ではアメリカ ...