1943年(昭和18年)連合軍の大攻勢が始まる。日本、「絶対国防圏」を設定する。

2022年6月27日第2次世界大戦

日本軍、ニューギニアで敗北し、ガダルカナル島からも撤退する。ドイツ軍はソ連軍との戦いに敗北する。
この太平洋戦線では、日本軍はアメリカ軍とだけ戦ったわけではない。連合国(オーストラリア軍、ニュージーランド軍、イギリス軍、オランダ軍、カナダ軍、中国軍など)と戦ったのである。
●ガダルカナル撤収は、2/1、2/4、2/7の3次にわたり毎回駆逐艦20隻で実施された。この結果、陸軍約9,800名と海軍約830名が撤収できた。だが6ヶ月におよぶガダルカナル島の戦いでは、陸軍約20,800名、海軍約3,800名が戦没した。
●またニューギニアでは、在ギルワとブナ支隊が、撤収命令(1/13)により、大発動艇(だいはつどうてい=陸軍上陸用舟艇《通称・大発》)によりラエ方面に転進した。このブナ方面作戦参加総兵力は、陸海軍合計約15,900名であり、オーエン・スタンレー機動間で約4,500名、ブナ周辺地区の防御戦で約8,000名の将兵が戦没した。撤収した人員はわずかに約3,400名にすぎなかった。(出典)「戦史叢書」朝雲新聞社「南太平洋陸軍作戦3」
(上絵)「密林の死闘-ニューギニア」佐藤敬。(出典:「太平洋戦争名画集」毎日グラフ臨時増刊1967/11/3)

★アメリカ軍の本格的な反攻が始まる。

1943年(昭和18年)2月、日本軍はガダルカナル島から、同じソロモン諸島のブーゲンビル島へ撤退した。それ以後主戦場は、中部ソロモンのニュージョージア島周辺に移っていく。5月アリューシャン列島のアッツ島で日本軍は玉砕する。一方東部ニューギニアでは、ラエ、サラモア周辺で激戦が繰り返され、9月~10月にかけてサラワケット山脈を越えて撤退する。また中部太平洋ギルバート諸島では、マキン、タラワが攻略され、11月に両島とも玉砕する。12月連合軍は、ついにラバウルのあるニューブリテン島に上陸する。

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★1943年ヨーロッパの戦況(ドイツ第6軍、スターリングラードで降伏する)

ドイツ軍は、ソ連とのスターリングラードでの戦いで敗北し、コーカサス戦線からも撤退する。一方、北アフリカ戦線でも、ドイツ軍は連合国に敗北する。そして連合軍はシチリア島上陸作戦から、イタリア本土へ進攻する。イタリアではムソリーニが失脚し、バドリオ政権が誕生し連合国に降伏する。だがドイツ軍はイタリアに侵攻しムソリーニを救出し、イタリアは内乱状態となる。

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★連合艦隊司令長官山本五十六大将戦死。

1943年(昭和18年)5/21午後3時の大本営発表は、衝撃となって日本列島を駆け抜けた。

「連合艦隊司令長官海軍大将山本五十六は、本年4月前線に於いて全般作戦指導中敵と交戦、飛行機上にて壮烈なる戦死を遂げたり。後任には海軍大将古賀峯一親補せられ既に連合艦隊の指揮を執りつつあり」

ラジオは、山本が元帥の称号を与えられ、国葬が行われることも伝えた。国民的英雄で「無敵連合艦隊」の象徴だった山本が死んだ・・彼の死は当時の国民を暗澹とさせた。
(文)講談社『昭和2万日の全記録』

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★1943年(昭和18年)6月、日本は労働力供給源として学徒動員、9月女子挺身隊動員を行う。

日本の敗戦時までに動員された学徒数は、340万人を超え、女子挺身隊の動員数は、約47万人だった。一方アメリカもまた、今まで就労が禁止されていた既婚女性を含め、人手不足を補うため、軍需工場等に600万人の女性を動員した。

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★1942年(昭和17年)12月頃から。政治と社会年表。

日本はついに戦争継続に必要な、労働力、戦闘力(兵隊)、食糧生産力を失っていく。労働力不足は、学徒動員(6月~)、女子挺身隊編成(9月~)、なかでも8月からは「第3次国民徴用令改正」で、強制徴用「白紙召集」をできるようにした。兵隊不足は、4月「兵役施行令一部改正施行」により中等学校生徒の徴兵延期制を廃止、陸軍・海軍の少年兵の志願年齢を引き下げ(5月)、朝鮮にも徴兵制を適用(8/1施行)、そしてついに10月、「在学徴集延期臨時特例」を公布施行し、理工系など一部を除き、学生・生徒の徴兵猶予を停止した。学徒出陣である。そして、11月には兵役法を改正公布施行して、兵役服務年限を5年間延長して45歳までとした。
『昭和2万日の全記録』講談社を中心に要約引用し、朝日新聞の紙面紹介を行った。

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★1943年昭和18年1/13内務省と情報局、米英楽曲の演奏を禁止。(政治と社会年表)

内務省と情報局はジャズなど英米楽曲約1000曲の演奏を(レコードを含む)禁止した。情報局は、米英音楽は「軽佻浮薄、物質至上、末梢感覚万能」に毒されており、「国民の士気の昂揚と、健全娯楽の発展を促進する」

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★1943年昭和18年2/23、決戦標語「撃ちてし止(や)まむ」定める。(政治と社会年表)

陸軍は、3/10の第38回陸軍記念日を期して、「撃ちてし止(や)まむ=(敵を撃たずにおくものか)」国民運動を展開した。

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★1943年昭和18年4/20。東条内閣大改造(政治と社会年表)

強まる東条独裁、政治力強化のため翼賛会や翼政会の人物を人閣させる。

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★1943年昭和18年7/21、国民徴用令改正公布(8/1施行)(政治と社会年表)

政府は、軍需産業の生産力向上が急務となり、一方で兵力動員のため労働力確保が困難になってくると、昭和15年10月、16年12月と矢継ぎばやに国民徴用令を改正、そして今回の第三次改正となった。これにより、国民皆働体制は強化され、この国民徴用は、兵役に次ぐ国民の義務となったのである。

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★1943年昭和18年10/21「出陣学徒壮行会」挙行される。(政治と社会年表)

東京の「出陣学徒壮行会」(学徒出陣)が明治神宮外苑で挙行された。この壮行会は、文部省主催で、東京とその近県77校(東京帝大・早大など)から集まった学徒が、スタンドを埋めた6万5千人のなかを東条英機首相らの閲兵を受け・行進した。

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第2次世界大戦

Posted by hoshino