1942年(昭和17年)④日本陸海軍、ガダルカナル奪回への死闘、そして撤退。

2022年6月27日第2次世界大戦

日本軍はニューギニアとガダルカナルで敗北する。
連合軍の対日反攻が始まり、日本軍はニューギニアとガダルカナルで敗北する。ヨーロッパでは、ドイツ軍が北アフリカ戦線、コーカサス戦線で戦い、スターリングラードの戦いでソ連に敗北する。
(上写真・部分)昭和17年10/5、ソロモン群島キゾ島(ベラ・ラベラ島南東の島)上空を飛ぶアメリカ軍B-17重爆撃機。このB-17を日本軍はなかなか撃墜することができなかった。(写真出典)「写真・太平洋戦争」雑誌「丸」編集部 編。潮書房光人社2015年刊

★ミッドウェー海戦(6/5)敗北の影響(海軍)

●ミッドウェー海戦の敗北(6/5)は、海軍に大きな打撃を与えた。海軍は機動部隊の空母4隻とその航空兵力の多数を失ったことで、空母部隊を活用する積極的な作戦を企画できなくなった。そのため連合艦隊は6月中旬、弱体化した航空戦力を補うため、南東方面の「航空基地強化作戦」であるSN作戦(ソロモン諸島、ニューギニア方面)を発令した。ガダルカナル島など航空基地急速整備の開始である。
●だが海軍にとっては、何よりも機動部隊の再建が急務の問題であった。そこで海軍は、軍備拡充計画を改訂(⑤計画→改⑤計画)し空母急造計画をたて、機動部隊を建制化(第3艦隊)し、連合艦隊の戦時編制(第8艦隊の新設等)を行った(7/14)。

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★海軍航空機の簡単な用語解説と帝国海軍の開戦からの連合艦隊編制の推移(参考)。

海軍では、艦艇から発着する飛行機を「艦上機」といい、陸上からのものを「陸上機」といい、水面から発着できるフロートを着けたものを「水上機」と呼んだ。(※用語)「艦戦」・・艦上戦闘機、「艦攻」・・艦上攻撃機、「艦爆」・・艦上爆撃機、「中攻」・・中型陸上攻撃機、「水偵」・・水上偵察機。
●下段に昭和17年4/10現在(第2段作戦開始時)の連合艦隊の編制(大項目のみ)を一覧にした。

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★空母急造対策と軍備計画の改定「改⑤計画」

ここでは、海軍の「改⑤計画」と「⑤計画」の対比、航空母艦建造状況一覧、主力航空機の生産状況等を記述した。
海軍は、ミッドウェー海戦の結果、既定軍備計画を急速かつ根本的に改訂しなければならない状況となった。それは直ちに航空兵力を画期的に増勢し、航空母艦を緊急建造することだった。計画が、計画で終わるか実行できるかは、まさに国力によるのである。

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★陸軍の対応、「陸兵派遣問題」(昭和17年初頭からの方針)

●そもそも陸軍は、海軍の南太平洋への戦略(ラバウル占領《1/23》等)に対して、その重要性を認めていたが、陸軍を派兵する必要性は認めていなかった(海軍の陸戦隊で充分との認識)。だから陸軍は、南海支隊(開戦時のグアム島占領)を、ラバウル攻略作戦(海軍との協定)に派兵はしたが、作戦終了後は第16軍(蘭印攻略)に転属させることに決まっていたのである。陸軍は、「絶海の孤島に少数の陸兵を派遣することは、海の中に塩をまくようなものである(参謀次長塚田中将)」と、厳しく反対していたのである。
●だが大本営は1942年(昭和17年)5/18、F・S作戦方面作戦軍「米豪遮断作戦(ニューカレドニア、サモア、フィジー攻略)ならびに(ポートモレスビー)攻略」として第17軍(歩兵12コ大隊基幹)を新しく編成した。南海支隊は17軍に編入され、陸軍は海軍と協同して南太平洋に本格的に派兵することになった。だがミッドウェー海戦の敗北(6/5)によってF・S作戦は中止され(7/11)、第17軍の任務は変更となり、ポートモレスビー等ニューギニア要地の攻略に限定されることになった。
●ところがガダルカナル攻防戦が始まり、陸軍は「東部ニューギニア攻略」と「ソロモン諸島(ガダルカナルなど)攻略」という2つの作戦を同時に行うことになってしまった。そこで大本営は11/16、第18軍を新設し、第8方面軍(第17軍と第18軍を統括)を新編した。

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★ポートモレスビー攻略とガダルカナルの戦い(1942年8月から6ヶ月間の死闘)

●珊瑚礁海戦(5/7~8)とミッドウェー海戦の敗北(6/5)、そして連合軍との航空戦の激化は、陸海軍の作戦に大きな影響を与えた。ポートモレスビー攻略作戦自体が延期となったのである。そこで大本営は「レ号」作戦(陸路によるポートモレスビー攻略)実施を決定し、7/28「東部ニューギニア作戦に関する陸海軍中央協定」を指示した。陸軍は「第17軍(南海支隊)」、海軍は「第8艦隊」主力による協同作戦を開始した。
●ところが8/7連合軍が ガダルカナルとツラギ上陸を開始する。大本営は急遽グァム島から宇品へに向かっていた陸軍・一木支隊(歩兵1コ大隊基幹)をガダルカナル島へ差し向けた。一木支隊は8/18ガ島上陸、次いでパラオから川口支隊(歩兵約4コ大隊《青葉支隊含む》)を8/30~9/6頃までに上陸させた。
●一方で、9/5南海支隊はニューギニア南東部スタンリー山系の稜線上に到達し、9/14にはポートモレスビー北東約50kmに進出し、モレスビーの灯を望見する地点にまで到達した。だが連合軍とのガダルカナルの戦いは激しさを増し、結果ポートモレスビー攻略は中止となり、南海支隊は後退を余儀なくされてしまう。

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国内政治・社会年表昭和17年《1942年》5月~8月頃

5/1陸軍第15軍第18師団、ビルマの要衝マンダレーを占領、南方作戦が一段落する。
5/7米軍フィリピン・コレヒドール要塞が陥落する。
ここでは『昭和2万日の全記録』講談社を中心に要約引用し、朝日新聞の紙面紹介を行った。

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★1942年(昭和17年)8/13アメリカ、原爆製造「マンハッタン計画」を開始。

●1942年(昭和17年)8/13、アメリカは「マンハッタン計画」を開始した。 この「マンハッタン計画」では、約54万人の科学者・技術者をリストアップし、そのうちの13万人を実際に動員し、つぎ込まれた資金は約20億ドルといわれる。米英は、ナチス・ドイツの残虐さとドイツ科学の優秀さから、ドイツが先に原爆を開発することを非常に恐れた。そしてアメリカでは、エンリコ・フェルミ(1938年ノーベル物理学賞受賞、イタリア人)が、12/2、シカゴ大学で世界初の原子炉「CP1(=シカゴ・パイル-1)」で「臨界」に成功する。プルトニウム239の生産が可能となり、人類が「原子の火」を手に入れた瞬間だった。

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1942年(昭和17年)8/22・23ドイツ軍、スターリングラード総攻撃

●ドイツ軍は、8/23、スターリングラード(ソ連)の総攻撃を開始した。だがソ連軍はドイツ軍をこの攻防戦で破った(1943年1月末ドイツ軍約9万人降伏)。ドイツ軍不敗の神話が崩れたのである。

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★国内政治・社会年表。1942年昭和17年8月~12月

1942年昭和17年11/27、太平洋戦争開戦1周年に、大政翼賛会と朝日、東京日日、読売の3紙が「国民決意の標語」を公募した。下が入選作10作品のうちの一つで、最も有名になったものである。
「欲しがりません勝つまでは」
ここでは『昭和2万日の全記録』講談社を中心に要約引用し、朝日新聞の紙面紹介を行った。

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第2次世界大戦

Posted by hoshino