1941年(昭和16年)③12/8、日米英開戦、太平洋戦争勃発。「米英に対する宣戦の詔書」

2023年4月25日第2次世界大戦

1941年(昭和16年)12月8日、大日本帝国は天皇の名において、「対米英宣戦の大詔」を発した。
「対米英宣戦の大詔」。ついに日米英開戦である。

下がその原本の画像である。下段で、「米英に対する宣戦の詔書」の読みと意味を書き出し、句読点を追加した。また文章が長く読みも難しいので、機械音声による読み上げも試した。また原文は国立公文書館にリンクしておいたので確認してください。「米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日」(出典)「公文書にみる日本のあゆみ」国立公文書館

「詔書」
天佑(てんゆう=天のたすけ=大源たる天つ神のたすけ)ヲ保有シ、萬世一系(ばんせいいっけい)ノ皇祚(こうそ=天皇の位)ヲ踐(ふ《む》=受け継いで位につく)メル大日本帝國天皇ハ、昭(あきらか)二忠誠勇武ナル汝(なんじ)有眾(ゆうしゅう=有衆=君主から人民を呼ぶ称)二示ス。
(ちん)(ここ)米國及英國二對シテ戰ヲ宣ス。 朕カ(が)陸海將兵ハ、全力ヲ奮(ふるっ)テ交戰二従事シ、朕力(が)百僚有司(ひゃくりょう・ゆうし=多くのつかさびと、百官・役人)ハ、勵精(れいせい=励精=一心に励みつとめる)職務ヲ奉行(ほうこう=奉じ行う)シ、朕力(が)眾庶(しゅうしょ=多くの人民。もろもろの民。)ハ、各~(おのおの)(そ)ノ本分ヲ盡(つく)シ、億兆一心(おくちょういっしん=億兆の民が心を一つにしての意味)、國家ノ總カ(そうりょく)ヲ舉(あ)(げ)テ、征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算(いさん=計算・計画の違い)ナカラムコトヲ期セヨ。

下

「GoogleChrome」の Read Aloud: A Text to Speech Voice Readerで、上の「米英に対する宣戦の詔書」を音声合成で読み上げてみた。間合いも発音もちがうが、文章読みの参考にしてください。(2.71MB、4.44分)

*リンクします「米国及英国ニ対スル宣戦ノ件・御署名原本」→国立公文書館

(上写真 部分)真珠湾奇襲攻撃で燃え上がる米艦船 1941年12月7日 撮影者不明 ハワイ・真珠湾(出典)「目撃者」朝日新聞社1999年刊

★1941年(昭和16年)太平洋戦争前夜、日米交渉、ハル・ノート。

これまでアメリカの関心はヨーロッパにあり、日本も中立を保っていた。それが7/28、日本軍が南部仏印に進駐すると、アメリカは、ただちに対日石油輸出を全面的に禁止した。アメリカは現代においても、最初に行うのは経済制裁であり、その後に交渉を行うのである。
9/6、日本は「帝国国策遂行要領」(第1回目)を決定し、戦争準備を10月下旬をめどに完遂させることを決定した。

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★1941年(昭和16年)太平洋戦争前夜、御前会議開戦決定、日本の戦争目的。

12月1日、御前会議は、対米英蘭に対する開戦を決定した。

「11月5日決定の『帝国国策遂行要領』(第2回目)に基く対米交渉はついに成立するに至らず、帝国は米英蘭に対し開戦す」

戦争目的は、11/13の大本営政府連絡会議で「対米英蘭蔣戦争終末促進に関する腹案」を決定した。

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★1941年(昭和16年)太平洋戦争前夜、陸・海軍開戦準備なる。

陸・海軍の南方作戦部隊は、11月中旬から南部仏印、パラオ、海南島、中国南部、澎湖島、台湾、奄美大島、南洋群島、小笠原諸島および内地に展開していた。

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★1941年(昭和16年)12/8、日米英開戦。日本同時奇襲攻撃をしかける。

●12/8(月)日本時間午前2:15マレー半島コタバルに敵前上陸。
●日本時間午前3:19・ハワイ時間12/7(日)午前7:49、ハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃。
●日本時間午前3:40タイ・バンコク南方海岸に上陸(その後タイ政府に、日本軍のタイ国内の通過を認めさせる)。
●日本時間午前5:38、シンガポール攻撃、フィリピン・ダバオ爆撃、アメリカ領ウエーキ島爆撃。
●日本時間午前8:00、香港爆撃と攻撃。
●日本時間午前8:30、アメリカ領グアム島爆撃、フィリピン爆撃。

下

第2次世界大戦

Posted by hoshino