1936年(昭和11年)2/26「2.26事件」の勃発

アジア・太平洋戦争

陸軍の「統制派」は、事件を起こした「皇道派」を一掃し、日本は陸軍を中心に戦争国家改造に突き進む。
 前年まで右翼によるテロ未遂事件や陸軍青年将校による政府転覆計画が連続して発覚していた。そしてついに陸軍内部の皇道派である急進過激派は、2.26事件(昭和11年2月)を起こした。帝国陸軍といっても派閥争いは激しく一枚岩であったわけではない。ここでは、「2.26事件」と、旧帝国陸海軍の「統帥権思想」について述べる。
●現代において特に問題なのは、現実に存在する軍隊(自衛隊)を日本国憲法に明記させないでいることである。自衛隊法にある「内閣総理大臣が自衛隊の最高の指揮監督権を持つ(自衛隊法)」ということだけでは不十分である。現実に存在する軍事力を、議会(国会=国民の意思)がどのように統帥していくかを決め、それを憲法に明記しなければならない。国家の骨格である軍事力を規制する「統帥権」を憲法に書いていない国家はない。
●憲法を絶対的なものと考えている政治家は、国民の意思よりも「憲法」を上にあると考えている。「憲法」よりも上にあるのが国民であり、それを「民主主義」という。「日本国憲法」が国民が作り上げたものではなく、与えられたものだから、そう考えるのだろう。
(左写真)「憲兵のものものしい警備に守られた、戒厳司令部になった東京・九段の軍人会館」(1936/2)(右写真)「Google ストリートビュー」から切り抜いた東京・九段会館(撮影日2017/10)(出典)「2.26事件と昭和維新」新人物往来社1997年刊

目次
昭和11年《1936年》 主要項目
★「2.26事件」の勃発
昭和11年(1936年)2月26日。
北一輝「日本改造法案大綱」大川周明「大東亜秩序建設」
●特に「2.26事件」後、陸軍統制派は「粛軍」により皇道派を一掃し、軍部は政治的発言力を強め、軍部による戦争国家改造をはじめていく。日本の海外膨張(侵略)の理論的(精神的)根拠を「天皇制」に置いたのである。そして軍部の独立を、自ら天皇の大権を犯しているにもかかわらず「統帥権干犯」といって、正当化したのである。軍事独裁である。
★帝国陸海軍の統帥権思想。
統帥権干犯とはどういう意味か。
日本の自衛隊法とアメリカ合衆国の憲法と「大統領戦争権限法」の紹介。
●この統帥権の問題については、新陸軍読本と海軍読本から統帥権のところを抜き出してみる。陸海軍の主張する「統帥権」の意味がわかる。軍部は政府に対して、「政府は第1次ロンドン会議で、天皇の大権である兵力量を勝手に外国と決めた」ことを「統帥権干犯」と主張した。だが「満州事変の際、関東軍は天皇の命令を待たず軍事行動を起こし、かつ朝鮮総督は朝鮮軍を命令を受けずに勝手に越境させた」ことの方が「統帥権干犯」であることは明白である。この問題は現代における「シビリアンコントロール」とも関連してくる。軍隊の統帥権を誰が握るかは国家の大問題である。

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★2・26事件「蹶起趣意書」「判決文(罪状)判決理由書(動機と原因)」「陸軍の思想的背景」など
1936年昭和11年2月26日2・26事件勃発
2・26事件勃発

●2月26日の早朝(午前5時)、各連隊の青年将校らは、蹶起と同時に目標とした政府首脳や重臣をその官邸や私邸に襲った。
翌日2月27日東京市に戒厳令が公布され、戒厳司令部は最初の三宅坂から九段の軍人会館に移された(午前6時)。

写真2枚とも(出典)「別冊歴史読本永久保存版」「2.26事件と昭和維新」新人物往来社1997年2月刊

●この事件は「昭和維新」の断行を旗印に、皇道派青年将校らが起こしたクーデター事件である。参加総人数は民間人を含めて1558名である。彼らは斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監らを射殺し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせた。岡田首相も殺害されたと報道されたが、反乱軍が誤認し実際は岡田首相の義弟が射殺された。
下の蹶起(けっき)趣意書は、青年将校が彼らの蹶起の目的と理由を書いたもので、2月24日北一輝宅の2階で村中孝次が野中大尉の原文に筆を入れてできた。事件前夜、歩兵第1連隊で謄写印刷し、決行後、陸軍大臣始め軍当局者、各新聞社などに配布したものである。
左上の新聞は昭和11年(1936年)2月27日の大阪朝日新聞(出典)「朝日新聞社に見る日本の歩み」昭和51年第4刷朝日新聞社発行


蹶起(けっき)趣意書

 謹ンデ惟(おもいみ)ルニ我神洲タル所以(ゆえん)ハ、万世一神タル天皇陛下御統帥ノ下二、挙国一体生成化育(せいせいかいく= 天地自然が万物を育て、この宇宙を成り立たせていること)ヲ遂ゲ、終二八紘一宇(はっこういちう=地の果てまでを一つの家のように統一して支配すること)ヲ完(まっと)フスルノ国体二存ス。此ノ国体ノ尊厳秀絶ハ天祖肇国(ちょうこく=国をひらきはじめること)神武(じんむ=神武天皇)建国ヨリ明治維新ヲ経テ益々体制ヲ整へ、今ヤ方(まさ)二万方(ばんぽう=あらゆる方面)二向ツテ開顕(かいけん=ひらきあらわすこと)進展ヲ遂グベキノ秋(とき)ナリ

下

「趣意書」(出典)「2・26事件 獄中手記・遺書」 河野司 編 河出書房新社 昭和47年初版 平成元年(1989年)新装初版発行

2・26事件の概要と蹶起部隊参加人員内訳及び判決(罪状・動機と原因)
事件の概要

●昭和11年(1936年)2月26日の早朝(午前5時)、「昭和維新」の断行を旗印に、憂国の気概に燃えた各連隊の青年将校らは、蹶起と同時にいっせいに政府首脳や重臣をその官邸や私邸に襲った。この章の最後の表が、蹶起部隊の参加人員内訳と出動先・結果一覧である。
●蹶起部隊は各所の襲撃終了後、麹町区永田町一帯を占拠し交通遮断に及んだ。この間蹶起部隊の首脳将校は、陸軍大臣に「蹶起趣意書」を読み上げ、要望事項を提示しその実施を迫った。判決文の「行動の概要」には次のようにある。
写真と以下の「判決文」「陸軍大臣告示」「戒厳司令部発表」は、(出典)「2・26事件 獄中手記・遺書 」河野司 編 河出書房新社 昭和47年初版 平成元年(1989年)新装初版発行


●「判決文7/7」の「行動の概要」には、この時の行動は以下のようである。

「・・麹町区西南地区一帯の交通を制限し、以て香田清貞、村中孝次、磯部浅一等の陸軍首脳部に対する折衝工作を支援せり。 前記香田清貞、村中孝次、磯部浅一等は丹生誠忠の指揮する部隊と共に、二月二十六日午前五時頃陸軍大臣官邸に到着、陸軍大臣川島大将に面接し、香田清貞は一同を代表して蹶起趣意書を朗読すると共に各所襲撃の状況を説明したる後、維新断行のため善処を要望し、また真崎大将、古荘陸軍次官、山下少将、満井歩兵中佐を招致して事態収拾に善処せられたき旨要請せり。」とある。

●要望には、反皇道派の宇垣一成大将、南次郎大将の逮捕もあった。そして午前8時30分頃、陸軍大臣川島大将の要請で来た皇道派の真崎大将は、蹶起将校達に「とうとうやったか、お前たちの心はヨヲッわかっとる」(磯部浅一手記)と言ったという。
●その後川島陸相は宮中に赴き、天皇に状況を報告した。天皇は「速ニ事件ヲ鎮定」するように命じたという。
●午後1時30分、宮中において陸軍軍事参議官会議(天皇の下問に答える陸軍長老会議)が開かれ、皇道派幕僚である真崎、荒木貞夫大将らが中心となって、蹶起将校を説得するための下記「陸軍大臣告示」が作成された。それが蹶起将校の行動を是認する内容のものであったため事態はさらに紛糾していった。

「陸軍大臣告示」(2月26日午後3時30分 東京警備司令部)

一、蹶起の趣旨に就ては天聴に達せられあり
二、諸子の行動は国体顕現の至情に基くものと認む
三、国体の真姿顕現(弊風を含む)に就ては恐懼に堪へず
四、各軍事参議官も一致して右の趣旨に依り邁進することを申合せたり
五、之れ以上は一に大御心に待つ

●しかし翌2月27日になると、天皇は陸軍当局による鎮圧が進まないことに憤りをおぼえ、「朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ、朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ」とし、ついに「朕自ラ近衛師団ヲ率ヒ、此ガ鎮定ニ当ラン」(本庄繁「本庄日記」)とまで言ったといわれる。27日朝、政府は東京地区に戒厳令をしいた。
●決起部隊は「事態収拾を真崎大将に一任したい」と要望したが、真崎大将は天皇の強い言葉により言動が慎重となり、決起部隊の聯隊復帰をすすめるだけとなってしまった。「維新遂行・真崎内閣」をも期待されていた真崎大将は豹変したのである。参謀本部は、鎮圧をしぶる皇道派の香椎陸軍中将・戒厳司令官に「奉勅命令」(戒厳司令官は占拠部隊を所属部隊に復帰させよ、という内容)を下達するように命じた。
●こうして2月28日午前5時すぎに「奉勅命令」が下達され、もし決起部隊が従わなければ反乱軍となり、戒厳司令部は2月29日朝9時攻撃開始を決定した。
●2月29日朝より鎮圧軍は戦闘態勢にもとに原隊復帰勧告を行い、結果決起部隊は抵抗をやめ、下士官・兵は原隊に復帰していった。将校准士官は逮捕され陸軍衛戍(えいじゅ)刑務所に収容された。野中大尉は2月29日陸相官邸で自決、別動隊の河野大尉は3月6日東京陸軍病院熱海分院で自決した。安藤大尉は拳銃で自決を図ったが一命をとりとめた。
●蹶起将校たちは自決することより法廷で闘うことを決めて投降したが、陸軍は非公開で上告も許さない特設軍法会議で、同年昭和11年(1936年)7月5日には判決を下し、1週間後に死刑を執行した。
●2・26事件の論理的支柱であった北一輝と西田税は翌年8月19日には、常人(一般人)である磯部、村中等と共に銃殺刑に処された。
上のビラの写真は(出典)「雪未だ降りやまず(続2・26事件と郷土兵)」昭和57年埼玉県史刊行協力会発行

●戒厳司令部発表(ラジオ放送)(二月二十九日午前八時五十五分)
「兵に告ぐ」
 勅命が発せられたのである、既に 天皇陛下の御命令が発せられたのである
 お前達は上官の命令を正しいものと信じて、絶対服従をして、誠心誠意活動して来たのであろうが、既に 天皇陛下の御命令によって、お前達は皆原隊に復帰せよと仰せられたのである。此上お前達が飽く迄も抵抗したならば、夫(それ)は勅命に反抗することとなり、逆賊とならなければならない
 正しいことをして居ると信じていたのに、それが間違って居ったと知ったならば、徒らに今迄の行懸りや義理上から何時までも反抗的態度を取って天皇陛下に叛き奉り、逆賊としての汚名を永久に受けるような事があってはならない
 今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ、そうしたら今までの罪も許されるのである
 お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを心から祈って居るのである
 速かに現在の位置を棄てて帰って来い
戒厳司令官  香椎 中将

●戒厳司令部発表(ビラにて撒布)(二月二十九日午前八時五十五分)
「兵に告ぐ」
 既に勅命は発せられた、諸士が飽く迄も原隊に復帰する事を肯んぜざるは、畏くも勅命に反き奉り、逆賊たるの汚名を蒙る事となるのである。凡そ諸士が上官に対し献身忠誠を致すのは一に上官の命は直に陛下の命を承る義なりと心得ればこそである
 然るに、不幸にして上官が勅命に反抗するに至った以上、猶且小節の情義に捕われ或は行き懸りの上に引きずられて最後迄之と行動を共にせんとするのは、諸士も叛逆者として屍の上の汚名を後世迄も残さねばならぬ事となるのである
 諸士は飽く迄も大綱の順逆を誤って最後の決断を忘れてはならぬ、それには潔く意を決して再び軍旗の下に復帰し、速かに大御心を安じ奉らねばならぬ、全国民亦衷心諸士の翻意を念願しつつあるのである
戒厳司令官  香椎 中将

●「2・26事件蹶起部隊参加人員内訳」(下図はマウスホールで拡大・縮小・移動ができる)
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上図(出典)新編埼玉県史 別冊「2・26事件と郷土兵」埼玉県史刊行協力会 1981年発行
2・26事件の処刑一覧、判決文(罪状)判決理由書(動機と原因)、「2・26事件と郷土兵」
●反乱将校ら17名に死刑の判決下る。准士官以下47名処断される。1936年(昭和11年)7月7日午前2時陸軍省発表。(新聞)7/7東京朝日新聞市内版(出典)「朝日新聞に見る日本の歩み」朝日新聞社1974年刊
●「2・26事件と郷土兵」には次のようにある。「・・事件は4日目になって収拾されたが、その直後、特設された軍法会議において反乱罪を問われ、将校の殆んどが死刑となり、命令を忠実に実行した部下も多数有罪の判決をうけた。また一般兵も隔離の上、憲兵のきびしい取調をうけた後無罪放免となっている。この時兵士たちは憲兵から『上官のあやまった命令に服従したお前たちは間違いである』といわれ驚きとともに命令とは何かと苦しんだとのことである。 事件後主力となった歩一、歩三の部隊は渡満し新任地で汚名挽回を期し専心軍務に励んだものの、決して汚名の消えることはなかった。・・」とある。
2・26事件の判決。7月7日陸軍省発表

●事件の詳細は、判決文に述べられているが、一部を引用する。順に「陸軍省発表文」「処刑一覧(将校・元将校・常人)の部分」「判決文(罪状)」「判決理由書(動機と原因)」を引用した。(出典)「2・26事件 獄中手記・遺書」 河野司 編 河出書房新社 昭和47年初版 平成元年(1989年)新装初版発行

●陸軍省発表(昭和十一年七月七日午前二時)
去る二月二十六日東京に勃発したる叛乱事件に付ては、其の後特設せられたる東京陸軍軍法会議に於て慎重審判中の処、直接事件に参加したる将校一名、元将校二十名(内二名は事件直後自決死亡す)、見習医官三名、下士官二名、元准士官下士官八十九名、兵千三百五十八名、常人十名中、起訴せられたる者は将校一名、元将校十八名。下士官二名、元准士官下士官七十三名、兵十九名、常人十名にして七月五日その判決言渡を終了せり。
右軍法会議の審判の結果に基く処刑及び判決理由概ね左の如し。
2・26事件「処刑」一覧

(元准士官、元下士官、兵、常人ら、省略)
(注)首魁とは悪事・謀反むほんなどをたくらむ中心人物。首謀者。

下

2・26事件の判決文(罪状)判決理由書(動機と原因)
罪 状
 被告人中、将校、元将校及重要なる常人等が、国家非常の時局に当面して激発せる慨世憂国の至情と、一部被告人等が其進退を決するに至れる諸般の事情とに就いては、これを諒とすべきものなきにあらざるも、その行為たるや聖諭に悖り理非順逆の道を誤り、国憲国法を無視し、而も建軍の本義を紊り、苟も、大命なくして断じて動かすべからざる皇軍を僭用し、下士官兵を率いて叛乱行為に出でたるが如きは其の罪寔に重且大なりと謂うべし、仍て前記の如く処断せり。
 又下士官、兵中有罪者一部の者に在りては、兵器を執り、叛乱をなすに当り、進んで諸般の職務に従事したるものと認め得べしと雖も、その他の者にありては、自ら進んで、本行動に参加する意志なく、平素より上官の命令に絶対に服従するの観念を馴致せられあり、尚同僚始め大部隊の出動する等、周囲の状況上之を拒否し難き事情等の為、已むなく参加し、その後においても唯命令に基き行動したるものにして、今や深くその非を悔い、改俊の情顕著なるものあるを以て、之等の者に対しては刑の執行を猶予し、爾余の下士官兵は上官の命令に服従するものなりとの確信を以て、其の行動に出でたるものと認め、罪を犯す意なき行為として之を無罪とせり。

2・26事件の判決理由書(動機と原因)
判決理由書
一、動機と原因
 (イ) 村中孝次、磯部浅一、香田清貞、安藤輝三、栗原安秀、対馬勝雄、中橋基明は夙に世相の頽廃、人心の軽佻を慨し、国家の前途に憂心を覚えありしが、就中(なかんずく)昭和五年のロンドン条約問題、昭和六年の満洲事変等を契機とする一部識者の警世的意見、軍内に起れる満洲事変の根本的解決要望の機運等に刺戟せられ、逐次内外の情勢緊迫し、我国の現状は今や黙視し得ざるものあり、まさに国民精神の作興、国防軍備の充実、国民生活の安定等、まさに国運の一大飛躍的進展を策せざるべからざるの秋に当面しあるものと為し、時艱(じかん)の克服打開に、多大の熱意を抱持するに至れり。
 尚この間軍隊教育に従事し、兵の身上を通じ農山漁村の窮乏、小商工業者の疲弊を知得して深く是等に同情し、就中一死報国共に国防の第一線に立つべき兵の身上に、後顧の憂多きものと思惟せり。渋川善助亦一時陸軍士官学校に学びたる関係により、同校退校後も在学当時の知己たる右の者の大部と相交わるに及び、是等と意気相投ずるに至れり。

下

「2・26事件と郷土兵」新編 埼玉県史別冊 より
●この本は、2・26事件に参加したり関係した埼玉県関係者の証言記録である。蹶起部隊として事件に参加した約1500名の将兵のうち、ほぼ半数が埼玉県出身の兵士だったからである。ここでは、その証言記録のなかから大宮市出身、歩兵第三聯隊第六中隊 軍曹 大正2年(1913年)生まれの谷中靖(旧姓中村)の「黒い影に憤怒」を紹介してみる。
「黒い影に憤怒」
昭和十一年連隊は渡満の関係で戦時編成となり、第六中隊は従来四コ班だったが一コ班増加し、私が新設の第五班長に、大木作蔵伍長が班付に任命された。
 一月十日新兵の入隊以降、私は毎日これの内務教育と訓練に忙殺されていた。
 その頃連隊内では相沢事件の公判をめぐって青年将校の間には何か緊張感が漲っていたようで、第六中隊でも毎週一回ずつの安藤大尉の精神訓話の中にそのことがいつも出てきて、これに関連した世なおしの必然性が説かれていた。このため心ある者は近く何か事件が起こることを意識していた。
 果たせるかな、二月二十六日○一・〇〇非常呼集によって遂にその日がやって来た。
 今週の週番司令は我が中隊長安藤大尉だ。間もなく命令がきた。
  「第六中隊は只今から靖国神社の参拝に向う、第二種着用!」

下

陸軍の思想的背景
大川周明「大東亜秩序建設」、北一輝「日本改造法案大綱」の思想
大川周明「大東亜秩序建設」

大川周明(おおかわ‐しゅうめい)、日本ファシズム運動の理論的指導者。山形県出身。軍部に接近し、三月事件、五・一五事件などに関係。戦後、A級戦犯の容疑を受けたが精神異常の理由で釈放。(出典)「日本国語大辞典精選版」
●ここで大川周明「大東亜秩序建設」の「大東亜秩序の歴史的根拠」より7の「支那事変より大東亜戦争へ」のところを引用してみる。「大東亜」建設の意味が少しわかる。
●左写真は、極東軍事法廷1946年(昭和21年)5月3日第1回公判開廷時の大川周明(なぜか合掌している黒服の人物)。(出典)「NHK特集・激動の記録・占領時代(昭和21年~23年)」NHKエンタープライズ2008年発売DVD


大川周明「大東亜秩序建設」より

「7 支那事変より大東亜戦争へ」
 是くの如くにして日本の誤れる進路は、満洲帝国の建設と共に、一挙正しき転向を見た。満洲建国は、日本が亜細亜抑圧の元兇たる英米との協調を一抛し、興亜の大業に邁往し初めたものとして、まさしく維新精神への復帰である。満洲事変勃発に際して、国民の熱情が火の如く燃えたのも、実に其為であった。然るに最も遺憾に堪へぬことは支那が日本の真意と亜細亜の運命とを覚らず、満洲建国を以て日本の帝国主義的野心の遂行となし、いやが上にも抗日の感情を昂め来れることである。

下

日本改造法案大綱(北一輝著)

●ここで、2・26事件の青年将校たちの思想的根拠となった「北一輝」の「日本改造法案大綱」の最初の部分を引用してみる。クーデターを実行するべきと言っているようである。

「国家改造論策集 内務省警保局保安課 1935年刊 「日本改造法案大綱」 北一輝著」
 緒言
 今や大日本帝國は内憂外患竝び到らんとする有史未曾有の国難に臨めり。國民の大多数は生活の不安に襲はれて一に歐洲諸國破壊の跡を學ばんとし、政權軍權財權を私せる者は只龍袖に隂(かく)れて惶々(こうこう=おそれるさま)其不義を維持せんとす。而して外、英米獨露悉く信を傷けざるものなく、日露戦争を以て漸く保全を與へたる隣邦支那すら酬ゆるに却て排侮を以てす。眞に東海粟島の孤立。一歩を誤らば宗祖の建國を一空せしめ危機誠に幕末維新の内憂外患を再現し來れり

下

*リンクします「日本改造法案大綱」 北一輝著」→ 国立国会図書館デジタルコレクション

●翌年、北一輝・西田税に死刑判決が下った。新聞は昭和12年(1937年)8月14日の東京朝日新聞(出典)「朝日新聞社に見る日本の歩み」昭和49年朝日新聞社発行

★帝国陸海軍の統帥権思想と統帥権干犯。現在の統帥権とは。

帝国陸海軍の統帥権思想

●下の陸海軍の「統帥権」について読むと、ポイントは軍に対する「統帥権」とは独立したものであり、『国家の主権者親(みずか)ら統帥権を施行するのを本則』であるとして天皇だけが「統帥権」を持っているとした。これを言いかえれば、軍は天皇にしか従わないといっているのである。海軍はもっとはっきりと『帝国海軍は、行政機関たる政府、又は立法機関たる議会から、指揮、命令、干渉を受けない。帝国海軍を指揮命令し得るものは、時の平戦を問はず、たゞ 大元帥陛下の統帥大権あるのみである。海軍の用兵作戦は何者の干渉をも許さない。』といっているのである。
●だが天皇の「統帥権」を干犯したのは軍自体であろう。

新陸軍読本から「統帥権の帰属」の部分
「第二 建軍の樣式と兵役制度」より「統帥権の帰属」
 各国の軍隊成立の要素の中で最重要なものは統帥権の所在と兵役制度であります。国防上軍の存在することが絶対不可欠でありますから、此の軍を統率し指揮運用する統帥権は独立不羈(どくりつふき=他から制御されないで自己の所信で事に処すること。また、そのさま。)、他の要因に依って影響されることなく存在することと徴兵制度の施行が絶対に必要となります。
 我が国は萬邦無比の神聖なる国体に基いて此の統帥権の不羈独立と徴兵制度を確立し、世界に比類のない軍制を確立しているのであります。
 一 統帥権の帰属

下

「新陸軍読本」武田謙二 著 高山書院 昭和15年(1940年)刊
国立国会図書館デジタルコレクション

「海軍読本. 第20号」の統帥権の独立不可侵の部分
 第7 帝国海軍の組織
 一 統帥権の独立不可侵
天皇の海軍
 建国の初、天皇定って日本国家あり、これ我が国体の大本であって、天壌とともに窮(きわま)りなく、天皇は日本国家と一体たること萬世に亙(わた)って不動である。
(注:天壌無窮=てんじょうむきゅう=天地とともにきわまりのないこと。永遠に続くこと。)
 抑〃(そもそも)国軍の使命は、一に国家生命の独立を主張し、防衛して、以て国と国と対立するの間、我が国の由って立つの国是を遂行するにある。
 されば国家を離れて国軍なく、天皇を離れて皇軍なし。
 天皇は親ら国軍を統帥し給う。 これ神武肇国(ちょうこく=新しく、国家をたてること。建国。)の厳然たる事実であり、祖宗(そそう)の御制であって、帝国憲法が、第11條に於て「天皇は陸海軍を統帥す」と統帥大権を明らかにした所以である。

下

「海軍読本. 第20号」阿部信夫 著 海軍省海軍軍事普及部 昭14(1939年)
国立国会図書館デジタルコレクション

現在の日本の自衛隊の統帥権

 現在の日本の自衛隊の統帥権に関する法律の条文は下記の通りである。下に一部自衛隊法などから抜粋した。しかしこれらは現在の日本国憲法には書かれていない。これが大問題であることは、アメリカ合衆国の憲法をみればわかる。
●アメリカの連邦議会は、憲法によって「宣戦布告」を行う権限を持つが、同時に大統領は、憲法によって「最高司令官」として強大な軍事権限を持つ。連邦議会は、この大統領の強大な軍事権限に制限をかけるため、「大統領戦争権限法」を成立させた。「シビリアンコントロール」とは、「文民(非軍人)」が軍隊のトップにいるという意味ではなく、軍隊を「政治的統制・民主的統制・議会統制」の下に置くことをいうのである。また連邦議会は軍法を定める権限を持ち、司法においても特別裁判所(連邦行政裁判所などや連邦軍事裁判所など)を設置している。
●一方日本国民は、日本国憲法にも明記させないでいる軍隊(自衛隊)をどうやって統帥して行くつもりなのだろうか。自衛隊法にある「内閣総理大臣が自衛隊の最高の指揮監督権を持つ(自衛隊法)」ということだけでは「シビリアンコントロール」とはいえない。現実に存在する軍事力を、議会(国会=国民の意思)がどのように統帥していくかを決め、それを憲法に明記しなければならない。国の骨格に関わる重要なことは法律ではなく憲法に明記しなければならないからである。下段で、「日本国憲法」「自衛隊法」「武力攻撃事態・・法」などにリンクしてみた。
●特に「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」の「国会の承認」と「自衛隊法」にある「防衛出動」がポイントであろう。だがこれは「戦争・交戦命令」ではない。何故なら日本国憲法には、次の第2章があるからである。

日本国憲法

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

自衛隊法

第二章 指揮監督
(内閣総理大臣の指揮監督権)
第七条 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。
(防衛大臣の指揮監督権)
第八条 防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する。ただし、陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の部隊及び機関(以下「部隊等」という。)に対する防衛大臣の指揮監督は、次の各号に掲げる隊務の区分に応じ、当該各号に定める者を通じて行うものとする。
一 統合幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の隊務 統合幕僚長
二 陸上幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊の隊務 陸上幕僚長
三 海上幕僚監部の所掌事務に係る海上自衛隊の隊務 海上幕僚長
四 航空幕僚監部の所掌事務に係る航空自衛隊の隊務 航空幕僚長


第六章 自衛隊の行動
(防衛出動)
第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。

下

武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律

(注)理解しやすいように小項目以下は別枠でくくって表示した。しかしこの法律のタイトルからして、日本の政治の困難さがわかるようではある。


第九条 政府は、武力攻撃事態等又は存立危機事態に至ったときは、武力攻撃事態等又は存立危機事態への対処に関する基本的な方針(以下「対処基本方針」という。)を定めるものとする。

下

*リンクします「日本国憲法」総務省「電子政府の総合窓口」→ 電子政府の総合窓口
*リンクします「自衛隊法」総務省「電子政府の総合窓口」→ 電子政府の総合窓口
*リンクします「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」総務省「電子政府の総合窓口」→ 電子政府の総合窓口
*リンクします「警察法」総務省「電子政府の総合窓口」→ 電子政府の総合窓口

アメリカ合衆国の統帥権

 一方アメリカ合衆国の統帥権は下記の通りである。アメリカ憲法から抜粋してみる。連邦議会と大統領に権限を分けている。本来意味したことは、「連邦議会」が宣戦布告し「大統領」が最高司令官として軍隊を指揮して戦争を行う、ことであった。しかし大統領命令によって、議会の宣戦布告なしでも軍隊の派遣がなされ、大統領の軍事権限は拡大されて行った。そこで連邦議会は、「大統領戦争権限法」によって大統領の軍事権限を規制するようになった。

「アメリカ合衆国憲法」第1条(立法府)

第8節(連邦議会の権限)
第11項 連邦議会は、宣戦布告をし、掠奪免許状を賦与し、陸上および海上における捕獲に関する規則を設ける権限を有する。
第12項 連邦議会は、陸軍を徴募し、維持する権限を有する。ただし、この目的のための支出予算は2年を超える期間にわたってはならない。
第13項 連邦議会は、海軍を備え、維持する権限を有する。
第14項 連邦議会は、陸海軍の統帥および規律に関する規則を定める権限を有する。
第15項 連邦議会は、連邦の法律の執行、反乱の鎮圧および侵略の撃退のために民兵の召集に関する規定を設ける権限を有する。

「アメリカ合衆国憲法」第2条(行政府)

第1節(行政権、大統領選挙)
第8項 大統領は、その職務を執る前に次のような宣誓もしくは確約をしなければならない。
「私はアメリカ合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、最善を尽くしてアメリカ合衆国憲法を維持、保護、擁護することを巌粛に誓う(もしくは確約する)」。
第2節(大統領権限)
第1項 大統領は、アメリカ合衆国陸海軍およびアメリカ合衆国の軍務に服している諸州の民兵の最高司令官である。大統領は行政府各省の職務に関する事項につき文書で行政府各省の長官に意見を求めることができる。大統領は弾劾裁判事件を除くアメリカ合衆国〔連邦政府〕に対する犯罪に対して刑の執行停止および恩赦を行う権限を有する。

*リンクします「About THE USA」アメリカンセンターJAPAN→「アメリカ合衆国憲法」
「大統領戦争権限法」

●「大統領戦争権限法」(1973年)は、連邦議会が、ベトナム戦争の結果から、大統領が持つアメリカ軍の海外派遣を決定する軍事権限を規制しようとしたことから生まれた。この法律は、大統領が海外派遣ができるためには、以下の3つの条件が必要であるとした。

「大統領戦争権限法」の概略

(アメリカ軍、海外派遣の3条件)
①連邦議会が宣戦布告をした場合。
②特別法によって権限が大統領に委譲されている場合。
③アメリカ合衆国に軍事攻撃があった場合。
(概略は次のようである。)
これら3条件のうち1つ以上があれば、大統領は軍隊に戦争命令をだすことができる。さらに、大統領が外国に軍隊を派遣した場合は、48時間以内に連邦議会に通報する義務がある。また戦争の継続を連邦議会が認めない場合、60日以内に停戦する義務がある。また大統領は、軍隊派遣前にできるだけ速やかに連邦議会と話し合いを行ったり、派遣後も連邦議会に詳細を報告する義務がある、というものである。

現在の問題。日本国憲法に「軍隊」と「統帥権」とを明確に規定していない無責任。

このように現在の日本の状況と、大日本帝国憲法ならびに大日本帝国陸海軍の「統帥権」の考えを読めば、より問題が明確となる。日本帝国陸海軍は、帝国憲法で「天皇」に統帥大権があるという理由から、軍隊自身もまた統帥大権による独立神聖を主張したのである。そして行政機関たる政府や立法機関たる議会から、指揮、命令、干渉を受けることを「統帥権干犯」とし、戦争に突き進んだのである。
●しかし現代では逆に、日本国憲法に「軍隊」と「統帥権」とを明確に規定せず、議会もそれを放置し続けているということは、政府と議会が統帥責任を放棄していることに他ならないのである。
またこのような日本のあいまいな姿勢は、対外的に自国防衛体制の脆弱さを暴露しているのである。なぜなら自衛隊は、憲法において「・・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という存在にすぎないからである。今や日本は周辺国にとってみれば、交戦できないほど弱い国とみなされているのである。
●また自衛隊法には内閣総理大臣は「最高の指揮監督権を有す」とあるが、「最高司令官である」とは書かれていない。軍隊では「命令権」を持たなければならない。同じように防衛大臣の指揮監督は、『当該各号に定める者(幕僚長など)を通じて行うものとする』とあり、「指揮監督権」は直接の命令権ではないようなニュアンスである。司令官の命令に従わない者は、命令拒否・不服従で死刑が軍隊である。自衛隊は軍隊ではないのである。
●いつまでも軍事力保持について観念論・理想論ではなく現実的な論議をしてもらいたいものである。理想論ならそれを具体化・現実化する論議が必要であろう。ただ軍隊に対してトラウマを持ち違憲論だけで済ますようであれば、一歩も前には進まない。軍隊が悪かったわけではない、命令を行う日本の権力層が、どうしようもなくダメだったからにすぎない。今後もし戦争が起きた時、日本の権力層や知識階層(新聞・報道を含む)は、またその責任を国民にかぶせるつもりであろうか。日本は敗戦時徹底的な攻撃を受け甚大な被害を受けた。そのため日本の権力層は国民に総懺悔をさせて、すべての責任をあいまいにしようとした。そして現在においても、日本は憲法9条を持つ平和国家なのだから、攻撃されるはずはないと夢想する政治家までいるようである。だが近隣諸国にとってはそうではあるまい。今度こそ仕返しして、恨みを晴らしてやろうと考える国があっても、ふしぎはないことである。

「大日本帝国憲法」の一部抜粋
第1章 天皇(てんのう)
第1条大日本帝国ハ万世一系(ばんせいいっけい)ノ天皇之ヲ統治ス
第3条天皇ハ神聖(しんせい)ニシテ侵(おか)スヘカラス
第4条天皇ハ国ノ元首(げんしゅ)ニシテ統治権(とうちけん=国家を統治する大権。国土・人民を支配する権利。主権)ヲ総攬(そうらん=政事・人心などを、一手に掌握すること)シ此ノ憲法ノ条規(じょうき)ニ依リ之ヲ行フ
第11条天皇ハ陸海軍ヲ統帥(とうすい)
第12条天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額(じょうびへいがく)ヲ定ム
第13条天皇ハ戦(たたかい)ヲ宣(せん)シ和ヲ講(こう)シ及諸般ノ条約ヲ締結ス

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