1934年(昭和9年)国内では大災害、大凶作に見舞われる。1935年(昭和10年)「相沢事件」起こる。

2022年6月27日アジア・太平洋戦争

昭和9年3月函館大火災、9月「室戸台風」、10月大冷害が東北6県を襲う。昭和10年、「相沢事件」が起こる。陸軍内部を揺るがす大事件の前兆。
昭和9年秋東北地方では、明治38年(1905年)以来の大凶作となり、平均収穫高が、東北6県では60.9%しか収穫できず、なかでも冷害のひどかった岩手県では45.5%、青森県では53.6%と最悪を記録した。
前年の昭和8年3月には三陸地方にM8.3の大地震が発生し大津波が三陸海岸の町や村を襲ったばかりであった。津波の被害は、岩手県が最も大きく、青森県、宮城県、福島県、北海道などを合わせると、死者・行方不明者3064人、流出・破損船舶8078隻を数えた。
昭和10年8/18、永田鉄山少将(陸軍省軍務局長)が軍務局長室で相沢三郎(歩兵中佐)に刺殺される事件が起きた。これは陸軍内部の「皇道派」と「統制派」の派閥争いでもあったが、この争いは翌年の2.26事件につながり、陸軍内部を揺るがした大事件の前兆だった。
(写真)凶作にあえぐ東北の農村。(出典)「日本の歴史(第12巻)世界と日本」読売新聞社1966年刊

1934年(昭和9年)函館大火災、台風による甚大な被害(関西地方)、東北大凶作。

●国内では、天災・災害が頻発した。3月に函館で大火が発生し2万4千余戸が焼失、9月には「室戸台風」最低気圧911.9ミリバール(現在だとヘクトパスカル)を記録した前例のない大型台風が上陸し関西を直撃した。家屋の全半壊は8万8000戸を超え、特に大阪では、暴風による小学校(7割以上)が倒壊し児童676人教員ら18人が死亡した。10月には東北地方が明治38年以来の大凶作に見舞われ、岩手県では約2万4000の欠食児童がうまれ娘の身売りが急増した。

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1934年(昭和9年)政治・社会年表。溥儀満州国皇帝。帝人事件斎藤内閣総辞職。士官学校事件(青年将校らクーデター計画)

●軍事面では、満州国は3月1日を期して、国号を満州帝国とし、執政溥儀を皇帝とした。7/26官民合同による海陸空の演習である近畿大防空演習が行われ、9/1には東京、横浜、川崎3市による連合防空演習が行われた(約50万人が参加)。
10/1陸軍省が「国防の本義と其強化の提唱」を公表、「陸軍パンフレット」問題となる。これは陸軍の統制派が公然と政治に介入することを宣言したものであった。11/20「士官学校事件」発覚、青年将校らクーデター容疑で検挙される。
12/19天皇親臨枢密院本会議で、「ワシントン海軍軍縮条約破棄」を全会一致で可決する。

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1935年(昭和10年)政治・社会年表。「天皇機関説」「国体明徴声明」「相沢事件」「皇道派と統制派」

1935年(昭和10年)1月、中国大陸ではソ連から満州国に北満鉄道譲渡に関する協定が成立する。4月、満州国皇帝溥儀が来日する。溥儀はこの訪日によって自らが至高の権威をもったと錯覚するに至ったと自伝で自嘲したという。
6月、「梅津・何応欽協定」、さらに「土肥原・秦徳純協定」が成立する。これは軍部による華北分離工作であり、塘沽停戦ラインからさらに南下侵攻しようとする軍部の工作であった(11/25冀東防共自治委員会成立、12/11冀察政務委員会成立)。
10/19毛沢東率いる第1方面軍が、1万2500kmにわたる「長征」を終え、陝西省保安の呉起鎮に到着し第15軍団と合流した。この長征途上共産党中央は「8.1宣言」を行い、内戦を停止し国家民族の危機にあたり一致協力して抗日民族統一戦線の結成を呼びかけた。
●軍事面では、2月、海軍が初の実用低翼単葉戦闘機(九六式艦上戦闘機)の試験飛行に成功する。11月には「九三式魚雷」(液体酸素推進式魚雷)を正式採用する。
陸軍内部では7月、真崎甚三郎教育総監が更迭され、皇道派と統制派の抗争が激しさを増す。8月には陸軍省軍務局長永田鉄山少将が皇道派に省内で刺殺される「相沢事件」が起こる。陸軍は「粛軍=統制強化」実現を申し合わせるが、2.26事件へとむかう。12月、日英米仏伊5ヶ国による「ロンドン海軍軍縮会議」が始まる。

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