(世界史)「16世紀」(ポルトガル・スペイン大航海時代・宗教戦争)

2023年4月16日世界史

日本では戦国時代が終わり、強力な徳川時代が始まる。世界ではポルトガルとスペインが大航海時代をむかえる。だがヨーロッパでは宗教戦争が始まる。
16世紀<要旨>
●この世紀に展開された大航海により、アステカ・インカ帝国がスペインに滅ぼされ、新大陸はヨーロッパ勢力の支配下に組み込まれるかたちで、世界の一体化が実現した。
●ヨーロッパではルネサンスと宗教改革が進展し、中世から近世への幕開けとなった。
●オスマン・トルコ、サファービー朝ペルシャ帝国、ムガル帝国のイスラム勢力と東アジアの明帝国は健在で、最後の繁栄を謳歌していた。
*綿引弘「一番大切なことがわかる(世界史の)本」

16世紀日本では織田信長と秀吉により戦国時代が終わっていく。世界では、ポルトガル・スペインの大航海時代となり、日本にまで尖兵でもあったキリスト教の宣教師がやってくるようになった。
徳川家康は、スペインの侵略を危惧した意見に対して、「侵略したければ来ればよいではないか」と言ったという。戦国時代の武将にとってはスペインでも脅威は感じなかったのであろう。だがヨーロッパでは、血なまぐさい宗教戦争(カトリック対プロテスタント)が始まる。
ここでは、綿引弘「世界の歴史がわかる本」全三巻三笠書房2000年刊、綿引弘「一番大切なことがわかる(世界史の)本」三笠書房2008年刊、「クロニック世界全史」講談社1994年刊、「丸善エンサイクロペディア大百科」丸善1995年刊から要約・引用した。また「東インド会社とアジアの海」・興亡の世界史第15巻、羽田正著 講談社2007年刊、「世界の歴史第8回」中央公論社1961年刊より要約・抜粋した。また吉川弘文館「世界史年表」も参考にした。関連する写真、著作からも引用した。また、13世紀~16世紀は、地域別簡易歴史年表を作成し、別枠で追加した。

★スペインとポルトガルの抗争 9-1

スペインとポルトガルは、トルデシーリャス協定とサラゴサ条約を結び、世界を2分する。スペインは、中南米のアステカ帝国と南米インカ帝国を滅ぼした。そして滅ぼした多くの地域で原住民を奴隷状態に置き搾取した。そしてこの労働力不足を補うために行われたのが、アフリカ黒人の拉致、奴隷売買だったのである。

下

★ルネサンスと宗教改革 9-2

イタリアに始まったルネサンスは、西ヨーロッパ各国に広がった。ルネサンスは、人間性の回復、合理的なものの考え方を広め、各国に近代的国民文化を発展させた。そしてこの動きは、教会・聖職者(腐敗、堕落した)のあり方に対しても起こった。ルターによる抗議「95カ条の論題(提題)」である。これが宗教改革の始まりとなった。こうしてカトリックに対する「プロテスタント=抗議する人々=新教」という呼称が生まれたのである。

下

★「太陽の沈まぬ国」スペイン。オランダのスペインに対する独立運動 9-3

スペイン・フェリペ(フィリップ)2世は、父カルロス1世の政策を発展させ、教皇を支援し反宗教改革の指導者となり、カトリックを背景とした世界帝国を樹立しようとした。イギリス女王メアリ1世の夫君でもあったので、イギリスにカトリックを復活させようとしたり、地中海の制海権をもっていたオスマントルコの海軍を、レパント沖海戦(1571年)で破り進出をおさえた。また1580年、ポルトガルの王位を継承し、広大な海外植民地を併合し、アメリカ大陸とアジアの貿易の双方をほとんど独占し、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。

下

★ヨーロッパの宗教改革と宗教戦争(詳細) 9-4

ここでは16世紀エラスミス、ルターから始まる宗教改革運動、プロテスタント対カトリック、宗教戦争(迫害、弾圧、虐殺)などの関連事件を年代順に書き出してみる。グーテンベルクの活版印刷も宗教改革運動に力を与えた。
この内乱に等しい宗教戦争がヨーロッパ大陸の諸国に与えた影響は計り知れない。そして17世紀になると、宗教戦争は継承戦争、国家間の国際戦争へと変貌していく。

下

★オスマントルコ・スレイマン1世 9-5

15世紀(オスマントルコ)スルタン・メフメト2世はコンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国を滅ぼし、コンスタンティノープルをイスタンブールと改称し、ここを首都と定めた。
そしてオスマン帝国は、第10代スレイマン1世の時代に、アルジェリア・リビアを併合し、地中海世界のほぼ3/4を支配した。「パスク・オトマニカ=(オスマンの平和)」といわれた。

下

★インド・ムガル帝国(イスラム・ヒンドゥ-両教徒の融和政策) 9-6

ムガル帝国の第3代アクバル帝はイスラム・ヒンドゥ-両教徒の融和政策を行った。この第3代アクバル帝のとき、ヒンドゥー教徒のラージプート族を平定し、北はアフガンから南はビンジャ山地の南までを統一し発展した。この急速な発展の最大の要因は、イスラム・ヒンドゥ-両教徒の融和政策にあった。

下

★明とシナ海世界、海賊、倭寇、琉球 9-7

琉球王国の「万国津梁の鐘」は、第一尚氏6代尚泰久王の1458年に鋳造された。その鐘銘の冒頭は以下のようである。
「琉球国は南海の勝地にして、三韓(朝鮮)の秀を鍾(あつ)め、大明(中国)を以て輔車(ほしゃ)となし日域(日本)を以て脣歯(しんし)となす。この二中間にありて涌出するの蓬莱島なり。舟楫(しゆうしゆう=船のこと)を以て万国の津梁(しんりょう=架け橋)となし、遺産至宝は十方刹に充満せり・・」

下

★16世紀、ポルトガルのインド洋海域進出 9-8

●ポルトガルの東洋進出は、1498年のヴァスコ・ダ・ガマのインド・カリカット到着から始まる。
ヴァスコ・ダ・ガマ「インド航路」からの歴史。ヴァスコ・ダ・ガマの航海。(第1回と第2回)

下

★ポルトガル進出前の東アジア海域とその後 9-9

倭寇(わこう)は13世紀~16世紀に、東シナ海から南シナ海にかけて朝鮮・中国沿岸地域で掠奪を働いた海賊集団の総称である。前期倭寇(14世紀中心)と後期倭寇(16世紀中心)とに大別される。前期倭寇は、九州やその周辺の島嶼部に住む人々を主力とし、後期倭寇は、中国沿海地域の人々と、彼らに荷担する東シナ海沿岸諸地域の人々が主力となった。鉄砲伝来で有名な種子島に漂着したポルトガル人も、王直の船に乗って密貿易に従事して漂着したと思われる。

下

世界史

Posted by hoshino