(思想)江戸時代から幕末「千代もと草」「士道」「弘道館記」「武士道」「氷川清話」「士規七則」「留魂録」

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 最初に、江戸幕府の正学となった「朱子学」をみてみよう 
●「千代もと草」 藤原惺窩(1561-1619) より引用 
昭和4年 国民思想叢書刊行会 「国民思想叢書. 儒教篇」国立国会図書館デジタルコレクション
ここでは、江戸幕府の正学となった朱子学について書く。
江戸時代の武士の思想・哲学の中心は、儒学(朱子学)になっていく。仏教は攻撃され、より現実的な朱子学が、体系化された。其の祖といわれる「藤原惺窩」の著作「千代もと草」から引用する。
儒学の基本、「五常(ごじょう)・五倫(ごりん)」について、わかりやすく書かれている、という。

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●「士道」山鹿素行(1622-1685)より引用
大正15.6.24 有朋堂書店 「山鹿素行 文集」国立国会図書館デジタルコレクション
ここでは、戦争がなくなった江戸時代の、武士の存在意義を説いた、山鹿素行の「士道」を引用してみる。武士という階級の存在意義が述べられる。
山鹿素行は、藤原惺窩の弟子の林羅山の門人となるが、もともとの、「孔子・孟子」の儒学に帰ることを主張した。
「農工商」は、忙しすぎて倫理道徳を追っていられない。武士こそが、その高潔な道を行くのだ」という。

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●「弘道館記(こうどうかんき)」徳川斉昭(1838年)より引用
昭和14年「愛誦集衍義」茨城県教育会編 国立国会図書館デジタルコレクション
幕末になると、江戸幕府ではなく天皇を尊ぶ、「尊皇倒幕」の思想が生まれてくる。その基になる水戸学の一部を引用して理解を深めてみよう。水戸藩が開設した「弘道館」の精神を表した、弘道館記(こうどうかんき)の最後の部分を引用する。その中の「忠孝」についてみる。
(注)こうどうかんき【弘道館記】
弘道館の教育方針を宣言した書。一巻。藤田東湖が起草,1838年徳川斉昭の名で公表。その注釈書「弘道館記述義」(東湖著,1847年成立)とともに水戸学の精神を伝える。Kotobank.jpより引用

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●「武士道」    山岡鉄舟(1836-1888) より 一部引用
「鉄舟随筆」光融館 明治36.8出版  国立国会図書館デジタルコレクション

ここでは、ついに動乱の幕末をむかえ、江戸城無血開城の前、西郷隆盛と面会した山岡鉄舟の「武士道」から引用する。「武士道」と名をつけたのは山岡鉄舟であり、その意味することが書かれている。先ず、山岡鉄舟の紹介をウィキペディア概説から記してみる。

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●「氷川清話」勝海舟(1823-1899)  勝部真長編 昭和48年 角川文庫 より
『藤田東湖』『木戸孝允』『島津斉彬公』『横井小楠と西郷南州』『佐久間象山』を引用。
●「海舟座談」巖本善治 編 岩波書店1930年 刊 参考
●「海舟全集」勝安芳 著 第10巻「清譚と逸話」改造社1927~1929刊 参考
●「海舟先生氷川清話」吉本襄 撰著 大文館書店 1933年刊 参考
ここでは、幕末に江戸幕府において重要な役割を担った勝海舟の書いた「氷川清話」より一部抜き出してみる。前記、鉄舟の「武士道」の評論も、勝海舟が書いている。ほかに「海舟語録」等もあり、全部を引用してもいいぐらいだが、「中江藤樹」(陽明学)、「武士道は消えていく」、「死をおそれず、死を急がず」のところだけを、引用してみた。同時代の著名な人物の目から見た幕末にふれることができる。

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●「士規七則」(しきしちそく)(吉田松陰)国体明徴国民読本 文英社 昭和11年出版 より引用 
国立国会図書館デジタルコレクション
●「留魂録」(りゅうこんろく)(吉田松陰)勤王志士遺文集. 第1 大日本文庫刊行会 昭和15年出版  より引用 国立国会図書館デジタルコレクション
ここでは、吉田松陰(松下村塾を主宰)の著作から引用する。
松下村塾(しょうかそんじゅく)・・幕末期、長州藩萩(はぎ)町(山口県萩市)に開設された私塾。吉田松陰(しょういん)が主宰し、明治維新の志士を輩出したことで有名。・・門人からは高杉晋作(しんさく)、久坂玄瑞(くさかげんずい)、伊藤博文(ひろぶみ)、山県有朋(ありとも)、前原一誠(いっせい)など多くの志士が輩出した。 (Yahoo!百科事典より一部引用)

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