(思想)信長『人間五十年・・夢幻のごとくなり・・』、葉隠『一念一念と重ねて一生なり』

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戦国時代(16世紀)から江戸時代(19世紀)の武士の思い
加藤咄堂 の「靖献遺言」(17世紀浅見絅斎著)について書かれた本のなかに、次のようにある。「学問・典籍は・・僧侶の間にのみ行はれ、常時社会の表面に活躍せる武門武士なるものには全く軽視せられて居ったので、織田信長は『学問は沙門(しゃもん=僧侶のこと)のみのことと心得るは以ての外』として之れを戒めた位であります。」 とあります。信長がたんなる戦国武将にすぎなかったら、比叡山(天台宗総本山)を焼き討ちしたり、石山本願寺(浄土真宗本山)を滅ぼすことなどできはしなかったであろう。
戦国時代(16世紀)の織田信長が好んだ「幸若舞 敦盛の一節」と愛唱の小唄」
信長という武将の生き様を理解できるわけではないが、どの時代でも人は何かを感じて生きてきた、ということだ。現代人だからといって、心のよりどころを持っているわけでは決して無い。

『人間五十年、下天(化天)の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか。』

『死のうは一定 しのび草には何をしょぞ 一定語りおこすのよ』

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●「武家諸法度」1683年天和令 5代将軍綱吉 ●「慶安の御触書」 1649年 
ここでは、江戸幕府の「武家諸法度」と「慶安の御触書」の一部を引用する。武士と農民のあるべき姿を定めたもの。身分制度が確立する「封建社会」の始まりである。時代によってそのよるべきものは変わる。現代の価値観で過去の時代を評価する必要は無い。今がどうであるかが問題である。

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● 1716年頃の元佐賀藩士山本常朝の、武士道を論じた「葉隠」について。
ここでは、「葉隠」から引用する。佐賀藩士山本常朝の話を筆記、編集したといわれる「葉隠聞書」がもとだとされる。幕末の山岡鉄舟の「武士道」にもあったが、武士道は頭で考えるものではないようである。
先ず、奈良本辰也と三島由紀夫の「葉隠」について書かれている部分を一部引用してみる。

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