武蔵野(むさしの)と雑木林(ぞうきばやし)

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狭山丘陵と武蔵野

●上の写真は、狭山丘陵にある「さいたま緑の森博物館(案内所)」の「水鳥の池」そばの紅葉した木を2015/12に撮影したものである。この場所は下の地形図(カシミール3D《フリーソフト》による国土地理院の地図と空中写真によって合成されたもの)の黄色のエリア(№1)の部分である。
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●この狭山丘陵とは、東京都と埼玉県との境に位置する丘陵地帯で、上の地図でいけば「魚」みたいな形の全体をいう。狭山湖と多摩湖(両方とも東京都の水道用貯水池)を中心に周りを水源保護林としているため、むかしの里山(さとやま)の景観を今なお残しているといわれる。
(注)里山とは、人里近くにあって人々の生活と結びついた山・森林とある。(広辞苑)
●東京都から埼玉県の一部と狭山丘陵をGoogleMapで見ると下のようである。

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●下の写真は、狭山丘陵にある「さいたま緑の森博物館」の一部。(2015年12/9撮影)

●そしてこの狭山丘陵は、「武蔵野」の一部であり、「武蔵野」の面影を今なお残しているともいわれる。「武蔵野」とは関東平野の一部で、埼玉県川越以南、東京都府中までの間に拡がる地域で、広義には「武蔵国」全部、と(広辞苑)にはあります。
●ここで自然主義文学で名高い、国木田独歩(くにきだ-どっぽ)(1871~1908)の「武蔵野(1898年)」の一部を引用してみる。そこには現代人が忘れた風景がある。
最初にでてくる地名は、埼玉県所沢市の小手指(こてさし)付近で、小手指ヶ原古戦場は「北野2丁目」というところにある。また入間郡(いるまごおり)という地名もでてくる。

国木田独歩「武蔵野」
(一)

「武蔵野の俤(おもかげ)は今(いま)纔(わづか)に入間(いるま)郡(ごほり)に残れり」と自分は文政年間に出来た地図で見たことがある。そして其の地図に入間郡「小手指原(こてさしはら)久米川(くめがは)は古戦場なり、太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦ふこと一日が内に三十余度、日暮れば平家三里退いて久米川に陣を取る、明れば源氏久米川の陣へ押寄(よす)る」と載せたるは此(この)邊(へん)なるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。

下

●続いて雑木林の美しさについて次のように書かれている。

(三)
 昔の武蔵野は萱原(かやはら=チガヤ、スゲ、ススキ等の原)のはてなき光景を以て絶類の美を鳴らして居たように言ひ伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林は実に今の武蔵野の特色といっても宜(よ)い。

下

●またこの武蔵野とよばれた地域は、以下のように書かれているので、その範囲は大変広かったようである。

『武蔵野の範囲には東京は入らない。しかし町外れの、渋谷・道玄坂、目黒・行人坂、早稲田・鬼子母神あたりの町、新宿、白金・・。これは入る。また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならない』とある。
そして『武蔵野はまず雑司谷(ぞうしがや)から線を引くと、板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、入間郡を包んで円(まる)く甲武線(こうぶせん=東京市内の御茶ノ水を起点に、飯田町、新宿 を経由、多摩郡を横断し八王子に至る鉄道。現在の中央線の一部区間)の立川駅に来る。この範囲の間に所沢(ところざわ)、田無(たなし=現西東京市)などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに夏の緑の深いころは』とあります。
『立川(たちかわ)からは多摩川を限界として上丸辺(かみまるべ)まで下る。八王子はけっして武蔵野には入れられない。そして丸子(まるこ)から下目黒(しもめぐろ)に返る。この範囲の間に布田(ふだ)、登戸(のぼりと)、二子(ふたご)などのどんなに趣味が多いか。以上は西半面。東の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川(きねがわ)から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。この範囲は異論があれば取除いてもよい。しかし一種の趣味があって武蔵野に相違ないことは前に申したとおりである――』と書かれてあります。
(星野注:上記の「上丸辺(かみまるべ)」がどこを指すのかわからない。上丸子あたりの意味か?)
国木田独歩「武蔵野」国木田独歩傑作選 小学館1946年刊→国立国会図書館デジタルコレクション
狭山丘陵とトトロの森

●このように昔から残っている林を「雑木林(ぞうきばやし)」といい、あるいは山・丘陵と民家との間の生活に密着していた林を「里山(さとやま)」ともいった。また昔から、その地域の神社を祀って残っている森は「鎮守(ちんじゅ)の森」といった。
しかし、こういった雑木林(クヌギ・コナラ等の林)も実は自然林ではなく、もともと生育していたシラカシなどの木を伐採した後に作られた林であるという。このいわば二次林とも言うべき「雑木林」すら、今はほとんど残っていないといわれる。
●上記「武蔵野」の地名にでてくる小手指原の古戦場は、下図の「トトロの森14号地」の近くにある。これらの「トトロの森」は、2016年9月までに、40号地まで取得されたとあります。下の公式サイトを確認して下さい。

「・・狭山丘陵は 『となりのトトロ』の舞台のモデルになったと言われています。 トトロのふるさと 狭山丘陵は首都圏に残された緑の孤島。ここに残された里山の風景を私たちは守り伝えたいのです。・・」とあります。

公益財団法人「トトロのふるさと基金」→「トトロの森の紹介」

●上のグーグルMAPでも、拡大したり航空写真で地形をみることができるが、下の写真(カシミール3Dフリーソフトと国土地理院地図と航空写真で作製したもの)をのせてみる。「赤枠」部分が「トトロの森14号地」付近。
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●「赤枠」付近の拡大写真。このあたりは農地が広がっていて、行政上も「市街化調整区域」に指定され、開発行為が制限されている。「赤丸」が「トトロの森14号地」。
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●下の2枚の写真は、「赤丸」部分「トトロの森14号地」の、グーグルストリートビューの2015年3月と4月の写真。左は落葉している木々。このように落葉しているので、この木々は落葉樹で、雑木林の特徴でもある。右は新緑の木々。8月に行ったところ、さらに森は深くなっていた。(ページ最初GoogleMapのストリートビューを使うと、この付近を見ることができる。所沢市三ヶ島付近である。)


●下は狭山丘陵の狭山湖外周道路からの写真。狭山湖・多摩湖というのは通称で、正式名は「山口貯水池」「村山貯水池」という。東京都水道局が管理する人造湖である。東京都の上水道のため、湖畔に立ち入ることは出来ない。しかしその水質・水源確保のために、このような武蔵野の自然が保護されて残ることができた、ともいえる。この狭山湖外周道路は鉄条網で区切られ、人間の侵入を厳しく制限している。下中の写真の紅葉は、鉄条網の湖畔側で立ち入ることは出来ない。

●下は狭山湖の堤防上から眺め。時期が違うので私の写真はだめだが、紅葉を美しく撮る人が数多くいる。下右はプロ野球の西武ドーム。(余談だが、今から40年ほど前、このあたりはUFO=《未確認飛行物体》の目撃情報が頻発した場所だった。私も深夜、東京からみんなでUFOを見に来たことがあった。以前、西岸 良平《3丁目の夕日で有名》の別のシリーズの漫画を見ていたら、このUFO事件のことが載っていた。結構当時話題になっていたのかもしれない。残念ながらUFOとの遭遇はありませんでした。)

東京を加治丘陵(狭山丘陵より少し北西方面)桜山展望台より見る

●東京を遠くから見るのもなかなか良い。日本の東京もそれほど大きくはないし、地震大国のためビルも高くできないので、それほど迫力は無い。


●近代的なビルや町並みを「きれい」とは、もはや思わなくなった。真っ先に費用対効果を考えてしまう。また何年で償却できるかも考えるようになった。美田は残しても良いだろうが、負債を残すわけにはいかないだろう。

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